仕事=しなければならないことをする
 私の現在の仕事の中心は日常的に使用出来るものを開発,設計することです。時として、その範疇を超えることは問題ではなくむしろ、未知の分野に挑戦することへの喜びと、その過程こそが私にとって重要であると思っています。  モノを作り出す過程で生まれる人との出会いや、発見、葛藤、またそれをどのように世の中に出していくのか、人、モノ、社会、あらゆる時代の状況の中で、モノは生み出され、消えていく。でも作り出してこそ味わえる喜びがあり、価値観の共有出来る人とのつながりが生まれる。そんなモノ作りを私はやめられないのです。まさに中毒かもしれません。モノ作り中毒。それを続けていくには、とても厳しい時代になっています。モノは永遠ではないし、同じくその他のあらゆるものもそうでしょう。この状況の中で作り続けるには、原点にもどるしか方法はないと思うのです。人類が道具をつくりだしたころ、必要にせまられ、使用目的が明解であったのだろうとは、容易に想像がつきます。また、移動手段も限られていたころには、身近にあるものを利用することで問題を解決していたのでしょう。その当時と今は違いすぎるとは思いますが、それが人類の足跡なのです。長い時間の中で作り上げてきたことなのです。こんなに変化に順応できる生物が行き着くところはどこなのか?今の問題を解決するための変化が出来るのは人類ではないのでしょうか?また解決とはどのような状況なのか?置かれた状況を解決だと思うのか、思わないのかは個人の考え方1つです。その個人の中にある価値観により大きく変わります。重要なことは、作り出す人には責任があるということ。作り出す責任。よくニュースなどで責任をとって辞職するなどとかいいますが、辞職によって責任から解放されることが通例になっていることに疑問を持つ価値観を持っていたい。同じ事は売る側にも、使う側にもいえます。ようはあらゆる人に言えるということです。責任とはなんぞや?と思われるかもしれません。考え方として自分の先祖や子孫、親、家族、友人、恋人など身近な人を大切に思うように、その範囲を限りなく広げられること。人を思いやれることと言い換えることも出来ると思います。そこからまた人、地域、国、地球などと想像していけることが必要なのだと思います。難しいことではなく、当たり前のことの中(日常の中)に大切なことが潜んでいて、それを改めて考えてみると、思わぬ発見があると思うのです。現在、私は世間でいわれる田舎に住んでいます。あえて田舎に住んでいます。といった方がいいかもしれません。ここに住むことになったのも人との出会いからでした。また、ここを選んだのにはそれなりの理由があります。まず肉体的にも精神的にも今の自分に合っていると感じたからです。すばらしい環境の中に佇む建築物は人の出入りを長い間求めていたにも関わらず、時代の流れの中で廃墟になろうとしていた。その当時は、ずば抜けた建築物であったに違いないのに、人が住まなくなるということが建築物には、よくないのと同様に、モノにとっても、人との関わりがなくなるものは、よくない事なのだと実感しています。それも、モノがよければよいほど。ここに住むということは今の状況に当てはまることを、仕事としていきたいと思う気持ちからです。いいモノを作ることは、人の気持ちに通じていけるし、命をもったモノになると思います。自分の生み出すモノは子供のようなものです。子供には健康に育って欲しい、と思うのは親の本心だと思います。モノによって寿命は様々ですが、そういう気持ちで取り組んでいます。今後ともよろしくお願いします。

                     

2005 4 16    下島啓吾